和歌山旅行も二日目。
この日は串本町の日の出から、島をぐるっと回りつつ西へ向かっていきます。
ルート上には三段壁や千畳敷、そこからさらに車を走らせ高野山へ。
2日目もきれいな海岸線を走りながらの観光で、絶景が多くありましたので最後まで見てください。
串本町の日の出と紀伊大島の名所めぐり
2日目のスタートは串本町から。
本州最南端を見ることは今回の和歌山旅行の目的の一つでもありました。
水平線が少し丸みを帯びていることがわかるほど綺麗です。
色んな所からこれまで日の出を見てきましたが、ここの日の出も素晴らしいものです。
波の音を聞きながらゆっくりのぼる太陽をみていると、しばらくこのままでもいいかなんて思ってしまいますが時間は有限。
この日のプランとルートを再確認して出発です。
ここ潮岬の「望楼の芝」はキャンプ場にもなっています。
私はキャンプをしたことがありませんが、ここの星空と日の出、海が見えるロケーションなら1度体験してみたいなと考えてしまいます。
養殖場を横目にみながら紀伊大島に入り、樫野崎灯台へ。
1890年にトルコの軍艦がここで難破した際に、当時の島民に救助されました。
それ以来、串本町とトルコとの友好関係が築かれています。
早朝なので開いていなかったのですが、当時の様子がわかるトルコ記念館(入館料500円)も近くにあります。
この像はトルコの初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクの像でトルコから寄贈されたものです。
日本とトルコの友好のシンボルのように感じました。
軍艦「エルトゥールル号」には650人前後の乗組員がいましたが、そのほとんどが沈没事故により亡くなります。
救助されたのは69名ほど。
これはそのための慰霊碑。
後から調べて知ったのですが、イラン・イラク戦争のころイラン国外へ出られなかった日本人をトルコの救援機が脱出を手助けしてくれました。
イラン・イラク戦争はこの難破事故から約100年も後の事ですが、当時の駐日大使は「エルトゥールル号の借りを返しただけです」と、この事故を学んでいたそうです。
樫野埼灯台は日本で最古の石造りの灯台です。
現在も現役で動いています。
今は時期ではなかったのですが、灯台の周りに咲く水仙が有名です。
灯台までに向かう道でも海や断崖はとてもいいものでした。
もしかしたこの辺りからでも海からあがる日の出がみられるかも知れませんね。
続いては灯台から車で5分の場所にある、「海金剛」へ。
写真の通り、車一台分の道幅しかない所があるので運転の際は注意。
朝鮮半島にある、金剛山からこの名前が付けられました。
日本の自然100選にも選ばれています。
鋭くとがった大岩は迫力があります。
この日は波が穏やかでしたが、岩の下部には亀裂が多く入っているので荒れた天気の時にはまた違う景色がみられるでしょう。
串本町から紀伊大島を結ぶ、くしもと大橋です。
車を走らせながらでは気付かなかったのですが、白い橋は海の青とマッチしてたので写真を1枚急いで撮りました。
駐車場はいっぱいだったのですが(AM7:00)キャンプ地などが近くにあるんでしょうか。
串本町を離れる前に、もう1度橋杭岩へ。
太陽の関係で黒く見えてしまいました(私も肉眼では見られなかったのでサングラスをしました)が、昨日の景色とはまた違っていたのも印象的でした。
海岸線を走り南紀白浜の三段壁と洞窟探索
橋杭岩から白浜町までは約1時間。途中まで海岸線を行き、途中から高速道路の無料区間を使って向かいます。
予定にはなかったのですが看板を見て「串本海中公園」に立ち寄り。
写真は海中展望台。
世界最北のサンゴの群生が見られます。
開園時間前に来てしまい、この日の予定にもなかったため今回はスルー。
正直、この水を見たときは非常に悩みました。
この辺りはラムサール条約に指定されていて、海が条約の範囲内であることを初めて知りました。
また、条約の指定区域内ですがダイビングやシュノーケリングを楽しむこともできます。
十分水が澄んでいるのように見えるのですが、実はこの時期が一番透明度が低いです。
プランクトンの影響でしょうか、真冬が一番澄んでいるそうです。
次に和歌山に来た際は、ここを優先的に旅行ルートに組み入れたいです。
三段壁に到着。遠くにはうっすらと四国も見えました。
三段壁(さんだんべき)の名前の由来は、昔の監視場(見段・みだん)の壁が転じてなったというそうです。
サドンロックとその説明です。
説明にもありますが不思議ですね。
個人的には空から降ってきた説を推します。
もちろんこんなことがしょっちゅう、しかも街中などで起きたらタダ事では済みませんが。
しかしサドンロックって名前いいですよね?
さて、こちらの建物からエレベーターで壁の内側まで降りることができます。
下の方は波の浸食で削られ洞窟になっています。
料金は1500円。
洞窟内はこんな感じ。
思ったよりも広く歩きやすいです。
見かけませんでしたが、車いすやペットの同伴もOKみたいです。
洞窟内には牟婁大辯材天(むろべんざいてん)が祀られています。
近くで見るとたくさんの仏像がみられますが、ここが地下の洞くつであることを考えると、何だか密教みたいに感じます。
洞窟内から海を見たときは、思ったよりも海面に近いところに足場があると感じました。
これ、海が荒れたら水没とかしないんでしょうか?
スマホの光源調整でこんな色ですが、本来はもっと暗いので少しだけ怖かったです。
波が穏やかでしたので上手く映りませんでしたが、「潮吹き岩」です。
左手前の水が散っている岩とその上の隙間から、波が高い時には勢いよく海水が吹き出ます。
クジラの潮吹きみたいになることからその名前が付きました。
天井の一部のには波で削られ露出している、「リップルマーク」と呼ばれる波の化石の跡があります。
海底でできた波の跡が化石のように固まった後に、表に出ることでこのような模様ができます。
熊野水軍の当時の装備を再現したものの展示もあります。
源平合戦に加わったことでも有名です。
よく知られている「壇ノ浦の戦い」では源氏側について勝利に貢献しました。
風が気持ちよかったのですが、直射日光がきつく少し休憩。
帰りがけにかき氷をいただきました。(250円)
このご時世に安い!
真っ白な千畳敷 青い海との対比が最高です
千畳敷は先ほどの三段壁からすぐ近く(車で3分)にあります。
2日目のプランはここを中心に考えたくらい私が来たかった場所です。
写真などを資料として情報を集めてましたが、やっぱり実際に見るのとは違います。
まずは思ったよりも広いことです。
写真は全体の4分の1程度。見る角度や海との境目などで印象ががらりと変わります。
表面は渦を巻いていたり、波打っていたりと様々な模様があります。
岩はざらざらしているものの削れやすく脆いです。
少し角度を変えるとこんな感じで、色や岩の凹凸は変わってきます。
改めて思うのは、和歌山の海はどこに行ってもきれいなこと。
ロケーションや自分の立ち位置を変えても美しさは変わりませんでした。
近くによる地層のスジが入っているのがよくわかります。
上の層が黒くなる前に削れるから、表面が白いところが多いのでしょうか?
ここで昼食をとりました。
写真は海鮮家 千畳のマグロカツ定食です。(1000円)
揚げ物でしたがさっぱりした印象で、タルタルソースとマグロの相性はバツグンでした。
1つだけ残念だったのは落書きが多かったことです。イニシャルや日付などを中心に日本語のだけでなく様々な文字で書かれていました。
表面が削れやすいため、そのあたりに転がっている石でも簡単に文字を刻めてしまいますが絶対にやめましょう。
実際に入り口に注意書きの看板がありますが、きれいな景色を残すためにもマナーやルールをもって観光したいと改めて思います。
いざ密教の聖地 高野山へ
さて、ここから高野山までは時間がかかります。
しかし、実は私はここを走るのをずっと楽しみにしていました。
別に走りたい道があるとか、有名な峠を調べたわけではありません。
海ばかり写真に撮ってきましたが、その反対側の山も立派なものが多くその合間を縫うように道ができているからです。
初日の熊野本宮への道も面白かったので期待が膨らみます。
高野山に到着。2時間以上走ってきましたが、非常に楽しい道でした。
分岐がすくない上に車道も二車線のところばかり。アップダウンがそこまで激しいわけではなく、さらに山に当たる日の光の陰影も、山の木々もきれいで最高でした。
走るのに夢中で写真は一枚もありません。後悔しています。
高野山金剛峰寺は弘法大師空海が開いた真言密教の聖地です。
ここには100を超える寺院があり、高野山の全域は広大です。
下調べが甘くここまで大規模だとは思っていなかったので少し焦りました。
この時点で2時。
目的を3つに絞り、まずは金剛峰寺を見ることに。(参拝料1000円)
外から見た感じより中は広く襖絵などを見ながら、ぐるっと回って30分くらいはかかりました。
廊下は広く、中は人が多かったもののゆったり見て回れます。
写真は日本最大の石庭の蟠龍庭。ここからの角度でも十分素敵な庭なのですが、1度門の方から全体を俯瞰で見たかったです。
驚いたのが台所がある上にとても広いことでした。
今は使われていませんが上には煙を逃がすために大きな窓?が開けられています。
「二石釜」と呼ばれる大きな釜です。
この釜三つで2000人分ほどのごはんが炊けるそうです。
当時修行していた僧の食事も用意できないといけませんが、いくら総本山とはいえ規模の大きさに驚きます。
マンモス校だって1000人はなかなかありませんから。
金剛峰寺から東に5分ほどのところから、高野山信仰の中心地であり弘法大師空海の入定する聖地、奥の院への道が始まります。
入定(にゅうじょう)とは空海が永遠の瞑想に入っているということです。
入り口の一の橋から奥の院までの参道は約2㎞。
この道の左右には有名な戦国武将の墓や大企業創設者などのお墓を含め、20万基近くが並んでいます。
有名なところだと武田信玄、上杉謙信、明智光秀、織田信長、伊達政宗、石田三成などでしょうか。
墓石の形もバラバラ、戦国時代には敵味方だったことも関係なく並んでいるのは興味深いですね。
中には草や木の幹とほぼ同化しているお地蔵さまもあったり。
時間の流れを感じます。
写真の後ろ側には御廟橋があり、その先はついに奥の院です。
橋の先は聖地のため写真は禁止。
橋を渡る前に帽子を取り一礼。橋を越え進むと、少し不思議な感覚になり自然と背筋が伸びました。
中には、結構な人数が外国人の方も含めていましたがみんな静かに参拝されていました。
その雰囲気に私も自然と合わさり参拝。
もう一度、金剛峯寺の前に戻り今度は西の方へ。
壇上伽藍は弘法大師が高野山を開く際に最初に造り始めたところで、奥の院と並んで二大聖地となっています。
写真は金堂と根本大塔です。
高野山の紹介などでは、金剛峯寺と並んでこの大塔を見た方もいるかもしれませんね。中は見ることもできます(拝観料500円)。
壇上伽藍は曼荼羅(まんだら)をかたちにしたものとされていて、この中は様々な仏像が置かれ壁にも密教を伝えたとされる人物が描かれています。
金堂は高野山の本堂で、当時は講堂として使われていました。
金堂は何度も建て替えられ、現在は7度目の再建のものです。
この六角経蔵は、取っ手がついており写真のように押しながら回すことができます。
ひと回りすれば、収められたお経を読んだことになる功徳が得られるそうです。
私は思い出せませんが、同じようなものをほかでも見たことがあります。
先ほどの大塔と対をなす西塔です。
中は見ることができませんが、中は如来像が安置されています。
現在の西塔は江戸時代に再建されたものです。
この時点で時間は5時を過ぎ、ここを含め様々なところが門を閉め始めました。
私も暗くなる前に山を下りたいと思っていたので撤収。
高野山は3時間で回るには広く、もしかしたら1日かけても全ての魅力を感じるには足りないのかもしれません。
ただ、限られた時間を有効活用できたことは自賛したいです。
和歌山旅行のまとめ
ここまで読んでいただきありがとうございます。
私はこれまで奈良県までは京都旅行のながれで訪れることがありましたが、和歌山県は
1、直接、アクセスできる高速道路がないこと
2、往復で、移動に時間を取られてしまうこと(自宅の東京からは片道7時間)
などがあり今回初めての旅行となりました。(3連休を取りましたが最終日は予備日)
結果から言えば、もっと早く来ればよかったと思いました。
天気に恵まれた、地元の方の紹介があった、などの好条件はありましたが私個人は伊豆半島と遜色ないかそれ以上の魅力を感じました。
時間を無駄なく使い、目的地を多く回れたことにも満足しています。
もちろん失敗点もありました。
1、高野山の規模を見誤っていたこと
2、2日かけても内陸の観光地を行った場合、海岸線は走破が難しいこと
3、行きたかった観光地は多かったものの、時間と距離の関係で諦めた所
(和歌山城、ポルトヨーロッパ、白崎海岸、とれとれ市場など)が多かったこと
があげられます。
これは下調べが甘いこともありましたが、全てまわるとしたら日数を増やすほかないのかと思われます。
以上がまとめになります。
このページが、これから車で和歌山旅行する人や、パンフレットやガイドでは情報が足りない方の役に立てばとても嬉しいです。